ここ、南インドのティルバンナマライは古いサニヤシンたちが
言っていたように、スピリチュアルサーカス、
スピリチュアルディズニーランド、というか、どんなアトラクションも
お望みのまま、という感じです。
全てのアトラクションには、人生への深い問いが用意されていて、
その問い自体が入場切符になっているようです。
問いを見つけるのは、あなたです。
どんなに「答え」を求めてみても、まずは「問い」がなければ
先へ進むことは不可能です。
「正しい問い」が見つかって入場できたら、アトラクションの中は
存在の暗闇と光が同時に展開される、
めくるめくスピリチュアルワールド。
物見遊山で軽い気持ちで入ってくると乗り物から弾き飛ばされてしまいます。
問いの立て方自体が間違っている場合は、自分が望んでいたのではない
アトラクションに案内されて、とんでもない目に合ったとか
深く失望したなんてことも、あるかもしれません。
よきガイドを見つけられることもまた、この果てしなく広大な
アトラクションの奥へと入っていくための、必要条件です。
ガイドはスピリチュアルな瞑想者のこともあるだろうし、
物売りのカシミール人や、道端で寝ているサドゥ、
物乞いの母子やお婆さんかもしれません。
ここでは物理的に外側に現れている姿で、その人が良いガイドかどうか、
本物かどうかを判断すること自体が間違いのもとなのです。
不思議ワンダーランド、第6チャクラの国、インドでは、
欲しいと思ったものは何であれ、すぐに眼の前に現れます。
例えばプーリーが食べたいと思って歩いていると、
「美味いプーリーならここの店だよ」と誰かが声をかけてきます。
リキシャを探していると、リキシャドライバーがすぐに寄ってきます。
車を降りて、国内線のチェックインはどこだろう、と思った途端に
目の前にいる人が、国内線はここからエレベーターを上がるんだよ、
と教えてくれます。
全く声に出して聞いたりしていないのに!
だからもちろん、内面に隠したもの、恐れや怒りだって、
丸見えなのかもしれません。
物事の本質を見極めるためには、ハートを開いて感じて、
第3の目を使って観るやり方がここではふさわしいのだと思います。
千里眼やテレパシーなんかじゃなくて、洞察するというやり方です。
インド人は自然とそのやり方を細胞に染み込ませている稀有な人々で、
さすが、悟った人を大量生産している国です。
インドはそんな人間のマインドの構造を、国を挙げて明らかにして
見せてくれるけどちゃんと気づいたら、インドに行かなくても
常にそれはそこにあるのだと、頭じゃわかります。
だけどインドは行けば行くほどに、知れば知るほどに魅了される国です。
さてもう今日は日本に帰国して、インド的にチューニングされた
頭と体を持て余しているわけけですが、これは治るんでしょうか....。心配です。
カシミール人から聞いた謎の深い話をググりながら日が暮れてしまいました。
インドに行く人たちが通い続けるのも、本当に理解できるわぁぁ。