今年の10月に予定している、「あたらさとvol.2」の打ち合わせで、
会場に決まった福島へと行ってきた。昨年初めての開催で、びっくりするほどの
好評をいただいて、第2回目の開催に向けて、今年もスタッフはエンジンを
ふかしはじめている。
なんで福島かって、ねぇぇぇ♡
今や、世界中で福島の名を知らない人はいない。
外国に行けば、必ず友人たちからの質問は「それで、どうなのよ、福島は。」
私の答えはね「政府がね、ダメダメなのよ。」と、思いっきり人のせいにして
自分は触らぬ神に祟りなし、というのが正直なところじゃないかと思う。
最初の頃は様々な原発反対運動に参加したりしたけれど、大きな力の前に
私たちは無力で、現実は何も変わらないという思いを抱えつつ、
まずは自分のこと、自分自身の自己実現が第一なんだと、自分に向き直った。
そういえば聞こえはいいが、触らぬ神からの祟りを恐れて、
なんとなく離れて行ったのだった。
多分、私みたいな人はたくさんいるんじゃないかと思う。
みんな心配してる。どうにかしたい、けどどうにもならない無力感を抱きつつ
横目で見ている。まるでパンドラの箱みたいだ。
あたらさとには福島のスタッフが2名いる縁もあり、ほとんどノリで
次回の開催が福島に決まって、心の中では「だいじょうぶか?あたらさと….」
いろんな意味でドキドキした。
でも、スタッフの中で反対を唱える人は一人もおらず。
そのプロセスは、まるで何かに導かれているかのようにどれもスムーズに
運んでいって、どこにもSTOPをかける要素は存在しなかった…..。
福島に足を運ぶようになって、地元スタッフの福島への暖かい眼差しと想い、
静かな愛、そして出会う人たちの懐の広さ、温かさがしんしんと心に響いてくる。
今回も、新しい街作りにコツコツと取り組んでいる深田さんという方に出会った。
「あたらさとの名前の由来はなに?」と聞かれて、私は
「故郷じゃなくて、あたらさと、なんです。まだ誰も見たことがなく、
経験したこともない、そこに参加する人たちが、じんわりとハートでつながって
作り上げる新しい村、みたいな。」
というと、深田さんは
「それそれ、それなんですよ!私たちが今必要としているものは!」
福島では、政府や自治体からの大きな政策が様々出ているけれど、
どれも人々の心を満たすことはできず、避難になった地域は空っぽで、
帰ってくることもできない。
「私たちにはあたらしい里が必要なんです。」と、深田さんはおっしゃった。
私は泣いてしまった。
まさか初めてお会いした、経験を積んだ年上の方に
(おいくつなんだかわからないけど)
いともあっさりと、あたらさとのコンセプトを理解してもらえたことに。
私たちの新奇なアイデアが歓迎されて、誰かが喜んでくれていることに….。
いつだって、新しいことをするには膨大なエネルギーと、
たゆまぬ説明努力が必要だというのに、
あっという間に、お互いの心が響き会えたことに...。
福島のあたらさとでは、私たちは声高に原発云々を叫ぶつもりもなく、
町おこしとか、政治や思想の色はつけたくないと思う。浄化だとか、
なにか神聖な目的も一つもない。
ただ私たちは、ハートを開いてつながり合っていきたいだけなのだ。
愛、笑、涙、夢、ダンス....それが私たちのBeingなのだから。
他にどうしたらいいかなんて、皆目わからないし、正しい答えもない。
(いや、あるのかもしれないけど、私は知らない。)
そこにはただ、人々が暮らしていて、日々を一生懸命生きているだけで、
その営みはごく自然で、私たちの日常となんら変わらない時間が流れている。
そこに正しさを求めたところで、何が救われるのだろうか?
私には、全然わからないし、予想もつかない。
ただ〈ものごとがそこにあり、何かが起ころうとしている〉だけなのだ。
ノリで決まった福島開催の物販のテーマはもちろん「発酵マルシェ」で行こう!
ということになっている。あたらさとが、地元のおじちゃんやおばちゃんと、
私たち県外からの旅人との、新しい出会いの場、発酵の場になればいいなぁと思う。
一晩をともに過ごして、なんでもない会話で食卓を囲み、お風呂に入って、
まるで実家に帰ってきたみたいに懐かしくて、暖かい。そんなあたらさと的な
時間を創れたら、最高だと思う。
人は誰しも、温かさのなかに生きている意味を感じたいと思うのだ。
あたらさとは私たちの小さなエゴや期待、予想を超えて、独自に脈打ち始め、
独自で発酵し始めて、独自の命を持ち始めている。