ある日、夢を見ました。 たくさんの友達と一緒に、いろんな民族衣装を着た人たちもいっぱいいて、 それぞれの知恵を持ち寄ってワークショップをシェアしたり、火を囲んで踊ったり、 ハグして、笑って、思いっきり転げまわっている夢です。 あぁ、こんなふうにしてクロスオーバーな感じで、すべての垣根を越えて ボーダーラインを越えて、遊びながらお互いの絆や理解を深められるような場を創ったら 面白いだろうなぁ...
そんなことを思いながら目が覚めた朝、すぐさま大阪のKARAの社長、
小島由香里さんと、ちょうど一緒に仕事をしていたウダラに話しました。 二人とも「面白そうだね!やってみようか!」と即返事をもらって
すぐさま動き始めました。
やっぱりね、実際に事業を継続している女たちの肝っ玉の座り方と
決断の早さといったら、すごいもんです。
そんなふうにして私たちの新しいお祭り「あたらさと」は始まったのでした。
それにしても、人生のほとんどを「好きなこと、面白いと思うこと」を
仕事にしながらやってきた私たちでも、やはり「仕事」となれば真面目な顔で
真剣に向き合っています。 そんな時間も長く続けば、少しずつ「真面目で真剣」な側面が占める割合の方が 増えていって、だんだんと「深刻」になっていく場面もあるじゃないですか。
「真剣」と「深刻」って、字面は全然違うけれど、取り組む姿勢としては同じ
フェーズにあったりします。言霊的にはけっこう似てますよね。
「しんけん・しんこく」
真剣っていうと、少し爽やかな風が吹くような気がしますが.... 深刻になってしまうと、ものごとは停滞を余儀なくされて、そのうち「重たく」 なってしまいます。そして逃げ出したくなっちゃう。 この違いは、何をしていく上でも見逃せません。
子供の頃の私たちは、ほとんどの人が突拍子もない夢を持っています。 それを語ると、普通の大人たちは鼻で笑ったものですが、最近の親たちは
どうなんでしょう? せめて自分の子供の夢は大切にしたい、と心から願っている人も
増えてきているような感じがします。
でも、その大人たちは、なんで子供の突拍子もない夢を笑ったんでしょうか。 ほとんどの人は、大人になるにつれて自分の夢を封印して、忘れ去ってしまい その夢を「子供っぽい戯言」のカテゴリーに入れてしまうのが世の中の常です。 そして自分は大人のフリして、世間の成功基準に沿ったような、
わかったような顔した生き方をし始めます。
家や車、地位や学歴が自分を幸せにしてくれるわけじゃないって、
どこかでわかっているのに自分の夢を諦めて、誰かの基準に沿って生きることが、
社会に沿って生きることだと信じて。 そして、「こんなに一生懸命やったのに評価されない」と、報われない思いや
無価値感を抱えて生きることに疲れ切ってしまいます。
内側にその昔封印された夢と一緒に、子供の自分が膝を抱えて泣いているのが
見えるようです。夢ってね、突拍子もないし、なんの根拠もないし、
採算だってとれないからね、大人の世界にはやっぱり馴染まないのだと思います。
だからこそ、今、そんな自分を癒したいと願う人達が大ぜい探究を続けている昨今ですが、
現実的な生活と、夢を分けて考えるやり方から姿を現わす「溝・ギャップ」は
底が真っ暗な見えない谷を前にしているときみたいに、足がすくむ感じじゃないでしょうか。
その谷の距離が30cmくらいで、ひとまたぎなんだとしても、谷の底から吹く風は
無情にも冷たく、暗く、生臭いのだと思います。