top of page
執筆者の写真Deva Tarika

共鳴する夢


続けて夢のことなんですが….

最近はあちこちで、「今の人は夢がない」とか「夢を失ってる」なんて 話を耳にしたり、目にしたりしているので、耳にタコになりつつあります。 わかってるよ!って感じでw

でも、あまりにも夢から遠ざかって生きていると、夢を生きること、 実現することのアレヤコレヤにチャレンジすることができなくなっちゃう。 ただの、「どこかで聞いたことのある他人ごと」みたいになってしまいます。

誰かの「夢」や、「想い」に共鳴してみることだって、面白いと思います。

それは形のない、未知のものです。 そのとき内側が震えたなら、それはきっと、あなたの大事な何かに

触れたってことで、その「誰かのため」じゃなくて、震えた自分のために、

なにかをしてみるのもステキなことだと思います。

もしかしたら、同じ星(おおもとの魂という意味で)から 同じようなミッションを持って、来ているのかもしれないから。

夢と一緒にいるとき、「深刻」な顔していることはできません。 これほど似つかわしくない組み合わせはないよね。「夢」と「深刻」。

私がテイクサニヤスしようと思ったそのとき、OSHOの言葉でショッキングな

ほどに影響を受けた言葉の一つに「あなたのその深刻さを落としなさい」

というのがあります。 まぁね、子供一人抱えて一生懸命必死に、深刻に生きてましたからww でもそれでは、自分の首を文字通り真綿で締めるような生き方で、 何にもうまくはいきませんでした。

それからというもの、「真剣」と、「深刻」の違いに気づいていたい、と思って 生きてきました。 そのとき「普通に生きていきたい」なんていうのが、けっこう曖昧な感覚となって、 自分の首をしめるポイントだと思うんです。

ほとんどの人が「普通に生きていきたい」ことと、内側の「夢」や「想い」

とのギャップに違和感を抱えていて、でも現実は「どうすることもできなくて」

その内側深くに潜んだ葛藤が、鬱や、原因不明の病気や具合の悪さに

つながっているのだと思います。

「夢」や「想い」などの、目に見えないもの、現実に形を現していない

ものは「未知」です。人はみんなどれだけ学んだとしても、教えてもらったとしても、 自分の知ってるもの、既知のもの以外は、認識できないものです。

スピリチュアルな探求とは、「未知の領域を生きる」ことなんだと言えると思います。

怖いでしょ?不確実で目に見えないものを生きるなんて。

だから、知らない生き方について、あれこれ悩んだところでけっこう無意味です。 経験するよりほかに、未知を生き得る方法はなどなくて、 魂は、単に経験を重ねるために、肉体をまとっているのだと思います。

夢ってね、見るものでも、叶えるものでなくて、単に「生きる」ものです。 ただ、淡々と粛々と、自分が生きたいところを歩いていきながら、

経験を積み重ねていく。そうやって力をつけていった魂は、

やがては現在の経験からも、まったく離れた境地から物事を 見れるようになるでしょう。感情や気分、信念がごっちゃになって

存在している場所からではなくて、いつもとは違う場所から、です。

常識や深刻な気分はちょっと横に置いといて、真剣に遊んでみる。 今絶賛取り組み中の「あたらさと」は、そんな「普通」とか世の中の

「常識」からちょっと離れたところから自分を見てみたい、

経験してみたい、というトライです。

今の選挙の流れだって、内側で動いているエネルギーは、

こんなことなんだと思います。

この世界の流れには、星の運行が大きく関係しています。

人間の進化のために、何が真実なのか、それを生きるのかどうか、

どんな選択を重ねていくのか、そんなことが宇宙から問われているのだと思うのです。

閲覧数:5回0件のコメント

最新記事

すべて表示

満月の森

bottom of page