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執筆者の写真Deva Tarika

地球からの旅立ち方


今朝、その方の訃報がSNSの投稿から飛び込んできて、

最近は、そのようにして旅立ちの情報がやってくることが、

何か不思議な感じだ。

ちょうどシュタイナーの「病気と治療」を読み返しているこのタイミングで、

「表面的な捉え方をしてはなりません。

………………. しかし、個人が何を語り、何を信じているかということが

問題なのではありません。それはまったく個人的な事柄です。

大切なのは感覚界ではなく、霊的な世界に躍動している事実を、

人生を豊かにするために使用できるということなのです。」

あぁ、まさにこれは、その人の生き方であったなと思い起こされる。

病気になってから、まるで開花されたかのような探求を続けられて、

私たちのグループでも、ともに踊って、泣いて、笑った。

湿度の低い、さらりとした風のようなその人は、よくモテた。

彼の落ち着いて紳士的な物腰に、おおいに安心感と安定感を得たのだろう。

女性たちは、多少丸くなった爪を研いで狩りに備えたが、誰も成功しなかった。

彼はそよ風のように、彼女たちの心の中をただ、吹き抜けただけだった。

まるで後から開花されたかのように、と言ったけれど、その表現は間違っている。

その人の準備は、整っていたのだと思う。

長い時間をかけて、人生の経験から学び、自らの糧に変えながら来られたのだ。

先日の美しい夜の満月を眺めながら「今日の月はお迎えの満月だなぁ」と思っていた。

還っていく魂が深い安堵の中にいるのがわかる時、私も同じく安堵の中に

包まれて、深いひと呼吸をする。

この世界で肉体の中に止まっている時間の方が、向こう側の時間よりもずっと短い。

向こう側からこの世界にやってくる時、非常な勇気を必要とするのだと

聞いたことがある。だとしたら私たちは全員猛者で、勇者だ。

物理的な肉体の死は、執着を離れなければやってこないだろうと思う。

どれほど「死んでしまいたい」と思ったところで、

この世界への執着は、そう簡単に手放せるものではない。

肉体の中に魂がある限り、最善を尽くして生を選択し続けて、

本当にその時がやってきたら、ちゃんと向こう側から使いがやってきて、

合図を送ってくる。そして大悟の時を迎えるのだ。

少し前にも、素晴らしい最期を迎えた友人がいた。

彼女はもう二度と地球には戻ってこないから、と、

愛する人たちに別れを告げた。

私はそんなにかっこよく、この世に落とし前をつけられるのだろうか?

まだまだ足元にも及ばないのは明らかだ。

心して、残されたものの務めを全うするよう精進しよう。

肉体を脱いだときに、吹き渡る風になって、さえずる鳥の声や、

キラキラとした光の中に、しばらく遊んでいた人を知っている。

命の模様が、地球に映される。

日本では、災害級と言われるような異常気象が続いている。

今、この一瞬を、自分の願いを叶えながら生きていこう。

明日がいつも通りやって来るのかどうかは、神のみぞ知る。

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