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執筆者の写真Deva Tarika

ドルフィン・コミュニケーション


初めてのイルカたちとの出会いはいつのことだっただろう?

子供の頃から通い始めて、両親はとうとう移住するくらいに惚れ込んだ

活発な活火山の島、三宅島。

そこからドルフィンスイムのボートに乗って一時間ほどの御蔵島の沖に、

イルカたちは住んでいる。出産や子育てのためにイルカ達が

定住している稀な海域で、イルカの赤ちゃんや、運が良ければ

授乳シーンにも遭遇できる。

彼らは夏の時期になると毎日のようにやってくる人間たちに、

嫌な顔一つせずに戯れに寄ってくる。(気分が乗れば。)

彼らの表情はそもそも微笑んでいることがデフォルトなんだけど、

イルカたちだって怒ったりムッとしたりすることも、当然ながらあると思う。

彼らの領域にお邪魔している闖入者として、守るべきルールは色々ある。

触っちゃいけない、追いかけちゃいけない。

たまにイルカたちは私を見に来るので、彼らの横顔と目が合う。

ほとんど毎年行っているので、きっと覚えているに違いない、ということに

しておけば私は幸せでいられる。

私も、特徴的な傷のある子らを覚えている(ような気がしている)ので、

シュノーケルをくわえつつ、言葉にならない叫びを、つい叫んでしまう。

もちろん、他の誰かとも微笑みを浮かべながら目を合わせているに違いない。

シュノーケリングも、ドルフィンスイムがきっかけで始めた。

それまでの人生で海の中を見ることなく生きてきた半生を猛省するほどに、

神秘的な別世界がそこにあった。

深く美しい青い世界に上空から差し込む光、光、光......

未知の世界はすぐそこにあるのに、水が怖いとか面倒くさいとか、

人それぞれの理由はあれども、陸上生活だけしか知らずに生きるには

この地球は広すぎる。

未知の領域、神秘は、本当は人間のすぐ隣にあるどこでもドアなんだ。

ドルフィンスイムは、泳げなくても、浮き輪や救命胴衣をつけて

海に浮くことができれば問題なく楽しめる。

ダイビングのような重装備では、イルカにはついていけない。

水の中に入っていくと、イルカの歌(エコーロケーション)が

こだまして、彼らの姿が見えなくても、あぁ、近くにいるはずだ!と

わかるのだ。体の中をエコーロケーションが通過したり、

どこかの内臓に当たったりするのを感じることもある。

それは言葉を超えたコミュニケーションで、非言語の言語を体で感じている、

という感覚的な喜びで満たされる。何か具体的な言葉に変換できるような

メッセージじゃなくて、海の中でマスクをつけたまま、叫び声をあげてみたり、

涙が溢れてどうしようもなかったり、思わず踊りだしたり走りだしたくなって

しまうような感覚だ。水の中なのに。

イルカたちに誘われて、実力よりとずっと深くまで潜ってしまうことも度々ある。

彼らは私に潜水の仕方を教えてくれているもかもしれない。

彼らはハートの存在そのもので、愛、喜び、幸せの波動のなかにいて、

イルカの歌を聞くと、体内の細胞のどこかのスイッチが入るのがわかる。

体の中の液体の中を流れる細胞のレセプターが、新しいコミュニケーション

ネットワークの情報を受け取って、今までとは違う回路を開く。

感情とか記憶とかが更新されて、海から上がった後の私は、毎回どこかが違っている。

感情の味、記憶の手触り、体の中を通り抜ける風。

異種間のコミュニケーションは、細胞の中で起こるのだと思う。

(多分きっと宇宙人とのコミュニケーションもそうなんだと思う)

定期的に海に入るようになった私の健康状態は、みるみる良くなって行って

世界は格段に広く、大きくなって、私を構成する成分は

黒潮の海に少し似てきたような気がする。

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