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執筆者の写真Deva Tarika

女の歓びを探して〜Life of Tarika〜


2018年初投稿です。今年は私は数秘では「9」の年を迎えます。

全てが総決算ということになるのでしょうか。

セラピスト誌の原稿も、もうすぐ最終回を迎えんとしていて、

書くことで私自身も、さらに内なる女神へのアクセスを深められていて、

感謝です。

そして今回、実態の見えない謎の女神「ヘスティア」について、記事を書き始める

前に助走し始めました。謎は深まるばかりなんですが、とりあえず助走の徒然を。

.................................

よく聞かれるのでが、なんでセクシャルなワークを始めたの?と。

聞かれれば話しますが、あまり書いたことはなかったかも。

私の個人的なヒストリーに興味があるって言われるのは、けっこう新鮮な驚きです。

ずっと長いこと、確か八年ほどだと思いますが、一人の天才的な先生のもとで

ハンズオンヒーリングと言われる、エネルギーレベルの治療を学んで来ました。

そこでは見えない世界を見たり、情報を聞いたりすることも含めて、様々な

トレーニングや学び、身体的な浄化、瞑想が行われていました。

あれです、ミステリースクールみたいなものですね。

当時そのヒーリングスクールでは、どんな基準なのか選抜があって、

まぐれで潜り込んだとしか思えない私は、最初はひどい劣等生の落ちこぼれでした。

私から見たら、他の人たちはなんでも知っていて、知識も経験も豊富で、

素晴らしく頭のいい人たちのように見えました。

なんでこんな優秀な人たちの間に入っちゃったのかと落ち込みながらも、

興味のあることだけを学ぶのって、こんなに楽しいんだ!と思ったものです。

悲しいことも苦しいことも、人生の体験が全て自分の魂の学びなのだと思えるのは、

素晴らしいことでした。

ヒーリングスクールの後半の頃になると、母子家庭で子育てして来た娘が、

思春期の真っ只中に強烈な大噴火を起こして、いや増すばかりの自分の罪悪感と劣等感に、

今までのツケの集大成だ、とか、これがカルマってものなんだと実感させられたのです。

随分と寂しい思いもたくさんさせてきてしまったし、自分の思春期を思い返せば

当然のことでした。

ただでさえ見た目的に派手な遊び人風に見えるし、本当はそうじゃないんだ!って、

こんな私だって一人前にやれるんだってことを世間に向かって

証明したかったわけです。しかし虚しいかな、どれほど探しても私の中に

理想的な「いい母親」像は見つけられず、葛藤ばかりの毎日でした。

とにかく、少しでも努力して「いい母親」らしく振舞って、きちんとした

清貧の生活(っぽく)するのが、当時私が知っていた唯一の「母親らしい」

やり方だったのです。

「娘が大変な時こそ、あなたの人生をしっかりと生きなさい。」と、目の奥を

覗き込まれるようにして届けられた、ヒーリングスクールの先生からの言葉は、

シンプルが故に、強烈なインパクトでもって、私の胸に刻み込まれたのでした。

その後、娘の思春期大爆発パーリーもすっかり落ち着いて、

私たちの人生にも多少落ち着いた、静かな時間がやって来ました。

その頃には、ヒーリングスクールでの学びも、時間をかけただけあって

劣等感の塊だった私でも、徐々に「何が起こっているのか」を理解し始めました。

大きな山を超えて初めて、見えてくることがあるのです。

そして同時に気づいてしまったんです!「私の人生に何が起こっているのか」を。

娘はといえば、すっかり落ち着いて、よく自立して、自分の足で歩き始めました。

私はといえば、若い女盛りを清貧の尼僧のように過ごして「いいお母さん」という、

自分で望んだのだとしても、かなり無理がある着ぐるみ的役割をかぶったまま、

女としての歓びも知らずに一生を終わって行くのかもしれない、

と気づいてガーンとなったのです。

この、恐ろしいほどの反比例具合!

当時はまだ、生理が終われば女も終わるんだ、というお先真っ暗な認識くらいしか

ありませんでした。

ずっとヒーリングや見えない世界、霊的な成長について学んで、魂の学びに終わりは

ないからと言って、母としての役割を概ね終えたその時、うっかり自分の女としての

人生を学ぶことを忘れていたことに気づいたのでした。

あとどのくらい、女でいられるんだろう?

そもそも女としての喜びとか、幸せってなんだ?

その間に私が経験できることはなんだろう?

頭を殴られたような気分でした。

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