女神の集いパート3の青いシャクティの、その先のコース、
Goddess Esoterica life training が佳境のころに書いた記事を放置してました。
ここではチャクラの心理学を探求しているわけですが、特定のチャクラで
特有の転移や投影を起こしやすかったり、それが臓器のある症状と結びついて
いたりして、人間と本人も知らなかった秘密の個人の情報の宝庫です。
私もね、みんなと一緒に理解が深まって行くのが毎回がとても楽しみなんです。
今はちょうど、第5チャクラを通過したところです。 このチャクラほど、誤解に満ちているところがあるかしら?
というくらいに誤解に満ちています。
希代のヒーラー、バーバラ・ブレナンは第5チャクラについて
「第5チャクラは人間関係に働く高い意志への 確かな信頼に関係する。また、音、言葉、音楽、シンボルを介した誠実な コミュニケーションにおける発信や受信に関係する。
コミュニケーションと高い意志の関係は非常に興味深い。
喉のチャクラが開いてよく機能しているとき、人はその瞬間瞬間における 自己の真実を語ることができる。その真実は自動的に高い意志にかなった
ものとなる。「はじめに言葉ありき、言葉は神なりき」 すなわち、言葉は形あるものとなった。人が話すことは、物質世界において
形あるもになる。互いを結ぶコードが健康であると、語り合う真実が人間関係
にもたらすポジティブなものは、その関係性における高い意志にかなっている。
こうして人は、人間関係本来の目的を達成することができる。」
独自の表現と言うと、私は絵は描けないから、とか歌がダメ、ダンスはダメ、とか色々 みなさん言いますが、そういうことではありません。 もっと言えば、歌も絵もダンスも、子供の頃に「下手くそ」みたいなジャッジを
受けたことを体のどこかで記憶していて、「下手だから」となってしまったの
かもしれませんよね。
独自の表現に上手いも下手もないし、私たちがピカソやルノアールである必要は
ないってことは、聞いたことがあって知ってるかもしれません。
でもいざ「何かを表現して」と言われると、尻込みするわけです。
私にももちろん、覚えがありますよw
ヘアメイクの出身ですから、自分の表現や外側の美しさに葛藤をもつモデルや
女優さんたちをたくさん見てきました。彼女たちは、一般人の私たちより
ずっと葛藤が強いです。
ヘアメイクも表現の一形態なので、自分の腕、感覚が他の人より劣っているのか?
もっと認められたい、認められなければ価値がない、なんて
若い頃は本気で思ってましたが、今ではそれが、自分の人生を形作る1ページに
すぎなかったのだという長期的な視点から振り返ることができます。
だって私はその時期に、何千人という人の肌を触って手の感覚を磨いて、
顔と取り組むことで、今では顔を見たらどんな生活か、何を言いたいのか、
ま、今風に言えばフェイスリーディングとでもいいましょうか、
そんな感覚を磨いてきました。それは生来あったもの、だといえるかもしれないけど、
表現に苦しむ人たちとともに仕事した時間、そして自分の葛藤の経験の中で
磨かれてきたものだ、と言ったほうがしっくりきます。
だからもっといえば、自分の生きてる人生こそが自分の「作品」で
命が終わるときに、今生での完成品を見ることができるんだと思います。
ま、私の場合はいろんなことをかっこよくチャッッチャとこなせなくて、
すごく時間をかけてゆっくり取り組んでいる、ということなんですが。
ライフトレーニングで。
ダンスはうまいもヘタも、全然関係なくて、楽しいかどうか、だけが大事です。