top of page
執筆者の写真Deva Tarika

異界のとびら


立春の日を境にして、新たなエネルギーが蠢いている。春がきた。 いろんなものが呼び覚まされる。それが準備OKならば。

去年のうちに決まっていた大仕事以外には、特になんの計画も 仕事もないまま、なんとなく新しい年を迎える、という長年慣れしたんだ この感じが懐かしい。去年は忙しすぎた。

今年はもうちょっとじっくり色々できるはずだ。(はず、はず....)

こんなんでよくもまぁ、子育てまでして、今まで生き延びてきたものだ。 こんな生活の中で、筋金入りで育まれてきたのは 「宇宙への絶対的な信頼」「未知への敬意」「完全なLet Go」だ。 育まれてきた、というよりも、そうしなければならなかったという 半ば強制的なほどの波乱万丈っぷりってことだ。 安全安心な生活は素敵だろうけど、3日くらいで十分だ。

先日、奈良・飛鳥の御田祭で、前の日から無意識に働きかける ワークをいろいろやってからお祭りの日を迎えるという、 なんともシャーマニックな時間の過ごし方をしてきた。

このお祭り、男女の交合シーンをもって豊穣を祈るやり方がまさに私たちにぴったりだ! 今ではお面をつけた天狗とおかめの交合を翁が手伝う、という設定だが 昔は実際に現物でwしていた、という話も聞いた。

そうだろうそうだろうw それこそ実際に生きとし生けるものが潤う理だ。

命あるものは、その交合を合図に、震える空気の振動を受けとって、 花は受粉し、動物たちは身ごもる準備を賑やかしく始める。

御田祭が始まると、眠気ともトランスともつかないような、 独特のエネルギーに浸された。 一瞬気が遠くなったその時に、長い長い夢をみた。

何かのスピリットが私をめがけて、はやぶさのように降りてくる。 私はそれと一緒に、白くて広い、大きな階段ばかりが続く巨大な都市 に行った。薄い茜色に染まった空が、他の星みたいだ。 わたしはその階段を静かに 蛇と一緒に歩いている…...

はっとして現実に引き戻されると、階段から落ちそうになった。 ちょっと気を抜いたら、すぐに他の世界と今いるこの場所を 意識が行ったり来たりを始める。

階段都市の中では、他の人たちが遠くの方に、まばらな感じで やっぱり静かに歩いているのが見える….. わたしも歩く。誰かに会いに行くために歩いているような気がする。

膝がかっくんとなって、意識が戻るとお祭りは佳境だ! 写真、写真を撮らなきゃ!! なんとかして目を開けていないといけない。だって、これを見に来たんだもの。 背後から吹きつけてくる、湿った生暖かい、重たい質量を持った 吐息のような風に巻き込まれまい、と頭を振った。

たぶんきっと、御田祭の前に見に行った古墳もいけなかったかもしれない。 キトラ古墳で見た「世界最古の天文図」だとか  高松塚古墳の馬の顔をした人とか、これはね、お墓じゃないよ!と思った。

お墓だなんて思ったら、いつまでたっても謎のままなんじゃないのかと思う。

(頭の固い)エリートたちは、既存の概念から微動だにできずに

研究に生涯を捧げるなんて、残念なことだ。

あの、高松塚古墳で見た馬の頭の絵は、(私の大雑把な検索では見つからなかったが) 中国からの伝統で、干支の中の動物が人間の体で表現されているらしい。

獣の頭の神様たちというのは、エジプトならホルスとか、ギリシャならケンタウルスとか、 高度な文明があるところには必ずこのアントロポス(半獣半人)が描かれている。 そしたら孫悟空だって、ハヌマーンだって、ガネーシャだってアントロポスだ! それが日本にもあったんだなぁと、一人感慨深いw

いや、私は日本にもそれがあるとは知らなかったのだ。

⇩世界のアントロポスコレクション!

高松塚古墳といえば、4人の美女ばかりがクローズアップされているけど、 それについてのあまり知識もなかったし。

発掘されている鏡などを見たとき、これはもうオーブを写し取ったものに他ならない だろうと、一人深く頷くww

高松塚の玄室を見た時には、ピラミッドの中だ、としか思えなかった。 これはお墓じゃなくて祭祀の場だろうし、考えられているよりもずっと古いもの なんじゃないだろうかと、自分一人の勝手な結論に至るのだった。 私にとっては、古墳や御田祭がそんな風に語りかけているように思えてならない、 ということだ。

歴史はいつも更新されて、新しくなっている。 現代人の固い頭も、そろそろ新しいOSが必要なんだ。

この宇宙は並行宇宙だ、と私は思う。 自分が選択した現実は、自分が信じるレベルの宇宙の現実と振動数で周囲に展開される。 アントロポス達が存在する宇宙は、気がつけばすぐ隣にあって、この3次元に生きる人間存在たちが、何をどう知覚して選択するのか、じっと息を殺して見ているような気がする。

知覚の扉は、いくら机に向かっても、誰かの素晴らしいレクチャーを聞いても開かない。

聖地に行けば多少はいいかもしれないが、やはり体ごと意識を調整して、

実際にそこに自分の振動数を合わせる以外にないのだと思う。

意識の扉を開くのに、アマゾンのインディオはアヤワスカで、エジプトやギリシャは なんだか知らないけど何かしらあるのだろうしw日本には麻が潤沢にあったはずだ。

飛行のための聖なる植物を奪われた現代の都会のシャーマンたちは、

呼吸とトランスに入るようなダンス、観音フライングニードルを使って飛行できる。

内側の宇宙に接続したら、広大な未知の大宇宙にも接続できる。それが私たちの並行宇宙なのだ。

もちろん私はそんなワークを提供して、体ごと意識を調整する仕事に従事している。

沖縄では5Elements Journeyを、

そしていよいよ都会のシャーマン、クリス・松尾老師の再来日だ。


閲覧数:10回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page