昨年1月からスタートした 「女神の集いファシリテータートレーニングGoddess Esoterica」は、 1年の歳月をかけた繊細なプロセスを経て、ようやく終了した。
9人の女神たちは、ちょうど小さな種から若芽がふいて、予測もしない嵐や自然災害に 耐えながら、少しずつ大きくなっていって、今やっと根がしっかりと大地に 張った若木のように瑞々しくて、力強い。
「私たちはトレーニングで今こんなことをやってます」 「こんなプロセスを通過中です」 「トレーニーからこんな感想をもらっています」
みたいなことを一々書いたりするのは私の流儀ではない。 巷では営業のためにそうするのが流行りのようだけども、そいうことは 本来の個人のプロセスの進行を著しく妨げることになる、と私は思う。 一人一人が自分自身で気づき、その繊細なアウェアネスとそっと一緒に いてほしいと思うので。 それはチネイザンの個人セッションにしても同じだ。 守秘義務云々以前のことなのだ。
人はみんな、誰しも好かれたいと思うし、嫌われたくなんかない。 「いい人でいたい」なんて思ってないとしても、日本人である私たちは 無意識に場の和を乱さないよう、注意深く自分を調整することが この社会を生き抜くための、サバイバルのための知恵となっている。
そして多くの女たち、日本人は、自分の思い、意志、夢、希望を内側深くに秘めて、 あげくの果てに忘れ去ってしまった。 誤解を恐れて黙っていたら、何も起こらない。夢も希望も、自分のやりたいことも。 人生に波風立てず、何も起こらないように、平穏無事で可もなく不可もなく 生きていくことが願いだとしたら、人はどのように死んだらいいのだろう?
「女神の集い」では1日だったり、2日だったり、限られた短い時間の中で 「何か」を起こすこと、人生の起爆剤になり得るような時間を 共有することを意図している。
参加者一人一人の歩いてきた人生の軌跡を、この短い時間の中で全部を 理解することは難しい。すべての経験が計り知れないほど尊く貴重なもので、安易に 「理解」したり「アドバイス」をしたり、カテゴライズするというのも 乱暴なことだと思うのだ。 だから、ただ愛と尊敬の器を作ってホールドすること。 その一瞬にすべてを賭けるこができるファシリテーターを育てたいと思った。
そしてトレーニーたちと私は、いつだって全身全霊をかけて向かい合ってきて、 真正であれ、意識的であれ、と励ましてきた。 もし私たちリード側がそこに意識を開いていなければ、その場では 何も起こらない。ただ楽しくダンスするだけのグループになってしまう。 いや、私たちはダンスが大好きなので時にはそれもいいww
女神の集いは、ただ命と命が、魂と魂が出会って、ともにダンスする。 純粋な命として、魂として出会うためには、私たちファシリテーター自身が 真正に命で、魂でなければならないのだ。 その純粋さ、真正さこそが、命の輝きであり、セクシーな存在で、女神だ。 今、彼女たちトレーニーは、何枚もの世間の重ね着を脱いで、勇敢で美しく輝く、 海の泡から生まれた官能的なアフロディーテのようだ。
一年の間、マッドネスでクレイジーな私とともに歩いてくれたことに感謝を 捧げます。これから各地で彼女たちはその官能的なダンスで、
人々を巻き込んで行ってくれるだろうと思う。
美しく純粋な命に祝福あれ!!!