私の周りのたくさんの人たちが、それぞれ重大なプロセスの局面にあって、
日本の大地も地球も宇宙も、新たな胎動が大きな波のように押し寄せている、
大潮で台風で、新月の夜の、この日に。
どうにも何か言っておきたい衝動に抗えないのは、憲法9条の解釈を
勝手に変えられてしまいそうだっていう事態が、ホントに目の前に
迫ってきてしまったから。寝ている場合じゃない、眼を覚まさないと。
改憲の議論自体はずいぶんと昔からあったと思う。
ぼけーっとしてる間に、してやられてしまうよ。
私は共産党議員の家に生まれたのだけど、家族が増えて行くうちに、防衛省やら
半アメリカ人、クリスチャンにサニヤシン、親戚は米海軍で、それぞれが
個性的すぎて世界の縮図みたいな家になった。
子供の頃は政治の話で盛り上がったものだが、最近では政治の話はあまりでなくはなった。
半アメリカ人は「自分の国も自分で守れないようじゃ恥ずかしいよ」と言い
防衛省は中国や北朝鮮の無茶ぶりを言い立て、
「イラクではどんなに危険な場所でも武器を持てない、使えない。
他の国に守ってもらって任務を遂行して、あげくその人たちが
銃弾に倒れるのを見過ごさなければならない。日本は世界一と言っても
いいような戦闘力があるのに!」
なんていうリアルな話には説得力がある。
そりゃ確かに情けない、辛い話かもしれない。
でもね、それって全部、はじめに争いありき、戦いありき、戦争ありき、
の話じゃないか。そもそもなんでイラクに行かなきゃならないのか?
イラク後の自衛隊では、相当数の人がPTSDで自殺してるそうだ。
私たちが知らないところで、誰かが戦争のツケを払い続けている。
日本人は、いや、世界中の人が戦争なんて望んでないと思う。
敗戦直後の一瞬の、世界中の心が平和への理想を観た、その瞬間に
制定された日本国憲法。誰もがもう二度と殺し合いなんかしたくないって
思ったその瞬間の、人類の真実の声じゃないのか。
現実主義者の目から見ればただの平和ボケにしか見えないのかもしれない。
事実、私の周りでも、地位のある人ほど改憲論者だ。
でも、理想を掲げることをやめてしまったら
私たちはいったい何処へ向かえばいいのだろう?
憲法の理想こそが、現代日本の誇りと霊性、真のスピリチュアリティだと思う。
世界中をあちこちバックパックで旅して廻った友達が言ってた。
日本のパスポートだと、ほとんどどこの国でも問題なく入れる、と。
(入れないのは北朝鮮ぐらいだろう)
他の国の人たちは、ヴィザをおろしてもらうまでに何十日もかかる。
もしくは、入国できない国がたくさんあるんだそうだ。
それはやっぱり、日本には憲法九条があるからこそなんだと思う。
今、自分にできることと言ったら、自分のなかの「初めに戦いありき」
「戦わなければ殺される」そんな臆病者の遠吠えみたいな恐怖からくる防衛
があることを認めて、それをやめることだ。
世界は私たち一人ひとりの投影からできている。
だとしたら、武器を捨てて楽器を取ろう!踊ろう!歌おう!いのちを祝おう!
ちなみに私は、うちの兵隊さんたちがみんな、めっっちゃ素晴らしい人間性
を持った、責任感に厚い尊敬すべき人たちで、イカした人たちだってことを、
とてもよく知っているし、彼らが心から大好きだ。
だからこそ、生きて、笑って、歌って、子供や孫に囲まれて、幸せな人生を送って
欲しいと心から願っている。
女はみんな、愛する人々の幸せを願ってやまない。
「君死にたもうことなかれ」
そしてこの、素晴らしい訳の一部を転載させていただきます。
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そして私たち日本人は
揺るぎない意志で
この憲法を制定します。
政府は
人々の神聖な信頼によるものです。
その権威は人々から出され
その力は人々の代表者たちによって行使され
その利益は人々によって楽しまれます。
これは人類すべてがもつ原則であり
この憲法は
その原則にもとづいています。
私たちはこれに反する
どのような憲法
どのような法令
どのような詔勅も排除します。
私たち日本人は
永遠の平和を願います。
写真はやっぱり、夕日に染まった強烈な美しさのペルシャ湾で。