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執筆者の写真Deva Tarika

Wounded Healer


衝動買いをするなら、花が一番!

なんて、花屋の宣伝みたいだけど、食べ物よりも服や靴よりも

心が満たされた気がする。

この時期には、愛する芍薬だの紫陽花だのが満開だ。

我ながら梅雨生まれだけのことはある。

家にこもるのが大好きだけど

最近、癒しの場所であるはずの、その家がオフィス化するのは

あまり歓迎すべきことでもない。

なんとかせねば、と思う。

私はフリーランスなのであって、仕事は自分で創出するわけで

忙しくしているのは、つまり自分なのであって、他の誰かに頼まれた

わけじゃない。

最近になってようやく気付いたのだけど、(遅い....)

仕事がたいへんだの、重たいだの、押しつぶされそうだのとなるのは

人から頼まれた仕事ではなく、自分で「やります」と引き受けたものに

限ってそんなふうになるんだってことだ。

やりたくて始めたことなのに、そりゃおかしいだろってことになる。

好きで始めたんだから、その「こと」は好きで、ある意味自信があったり

することなんであって、苦手なことや出来ないと最初からわかっている

ものはさすがに引き受けはしないだろう。

こんなことの奥には、深い深い「承認欲求」が隠されている。

子供の頃からの親との関係は、大人になっても根深く残る。

ほとんどの人には、薄々にしろ蘇ってくる、すっかり忘れていたような記憶

なんかもあるだろう。いや、私もですw

お父さんやお母さんに認められたい、これができれば愛される、

大事にされるだろう的な。

そんなふうに隠されたもの、裏にあるものに気づかずに苦闘してると

自分や世界との関係は捻れに捻れて複雑化していってしまう。

それでもそんな傷あればこそ、超えていったあとにくる達成感たるや

半端ない。自分の中にある、弱々しい子供の部分に向き合って、受け容れて、

超えていってこそ、人としての成長がある。

人の癒しに関わる仕事をする人にとって、その傷こそが宝物になるわけで、

偉大なヒーラーの子供時代が幸せだった、なんてのはあまり聞いたことがない。

親からもらった傷が遺産代わり、ってことなのか。

人間は不完全で、親も不完全な人間で、自分もまた不完全な人間だと受け容れること。

これが最初の一歩で、Wounded Healer (傷ついたヒーラー)

の誕生の瞬間なんだろうと思う。

雨の日は、そんなことを考えるのにちょうどいい。

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