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執筆者の写真Deva Tarika

戸惑いの女神


水星が逆行を始めた。

最近はもう、天体の影響があまりにクリアに出るんで

笑っちゃうしかないよって感じなのだ。

身体も、私なんかは今スーパー浄化モードに入ってるなぁという感じで

ちょっとしたことがものすごーくクリアに体調に影響したりして

そのせいか最近は、鮮明に摩訶不思議な悪夢を見たりして

地獄の釜のフタが開いたんかね?みたいな。

このところ、今年最後になる広島と名古屋での女神ワークのミーティングに

余念がないのだが、そこでまた振り出しに、初心に戻るような話題が満載している。

やっぱり...逆行だからね。

そもそもの初心に戻ることは、この時期本当に大切なんだと実感している。

初心に戻るといえば、今は出雲からこれを書いているけれど

この地から日本を見ると、出雲はやはりそもそもの

日本の発祥した地なのだと思わずにはいられないほどの

豊かな水の気配と、濃厚なまでに脈打つ川のうねりと流れ。

そこに、地の自然と艶かしく一体化した性のエネルギーを感じさせる。

それもまた失われた縄文の痕跡ではないかと思う。

しかし縄文からのメッセージは、今の男性優位型の管理社会の視点からしか

モノを見ることができない私たち現代人が、真の意味を読み解いて

理解するには、ミッシングピースが多過ぎる。

だからこそ、人々の夢や想像を掻き立ててやまないのだとも言えるだろう。

日本の国のボーダーを超えて、世界の中の女性を考えるとき、

「女神」とはなんぞや?という疑問が繰り返しやってくる。

やはりまだまだ女神のイメージというのは、ステレオタイプな感じで

清らかで、優しく、凛として穏やかな聖女、処女というのが一般的だ。

けれども、西洋の古い女神を描いたものなどを見ると、蛇や熊、そして

猛獣ライオンを従えていたりする。

実はこの女神セクメト自身の顔も本来はライオンだ。(猫じゃないよ!)

ウラエウスを頭上に頂く彼女は、エジプト最強の戦いの女神。

戦いを司るのは男の神ではなく、女神だった。

セクメトの姿とウラエウスというのはこれ ↓ 

太陽円盤とコブラの意匠、それは王権と神性の象徴だ。

エジプト神話最古の女神ウアジェトは、ウラエウスのコブラの姿で象徴されている。

エジプトはファラオの統治の下に繁栄していたようにみえるけれど、

実はその背後では、女神ウアジェトがエジプトのファラオを庇護して、

エジプト全土を守護していたのだ。

イシスは牛の女神、ギリシャ神話のキュベレーは同じくライオンの頭、

そしてライオンの玉座に座して、ライオンの戦車を御す。

月の女神、アルテミスは熊として表されるし、ヘカテーは3つの頭を

持つ月の犬、アフロディーテは猪、などなど、女神たちは獰猛で

普通なら手なずけることのできないような動物を側に侍らせていた。

この月の女神たちと動物たちが表しているものは、月のように変わりやすく

一定でない感情や、女性の中にある肉食の、野生の性質だ。

大いなる生命の創造と歓喜、それと対をなすような死と破壊。

獰猛で恐ろしく御し難い、コントロール不能な側面、

この対になる陰と陽、その野生こそがエロスなのだ。

今の管理された社会の中で、野性的、本能的な側面を抑圧せずに

生きていくことはとても難しい。

野生の動物たちは、月の満ち欠けと時期を同じくして、排卵の頃には雌は雄を求め、

雄はこの時期だけ、雌に近づくことを許されて、どんなに遠くからでも

雌を求めてやってくる。

そして子を産み、育てていくこともすべてが紛れもなく野生の本性だ。

誰に教えられることなくやってくる感覚たち。

それが今では、女たちは子を産むことを躊躇し、男たちは素知らぬ顔を決め込む。

野生のエロスは、ポルノの代名詞へと堕とされて今や見る影もない。

女性たちは内側に眠る自分自身の本来の力に触れるとき、なにか得体の知れない

動物的なものが顔をのぞかせて、恐怖を感じて封印する。

自分自身が知っている世間の道徳の基準にあまりに合わないために、戸惑いながら封印する。

世界も、それを出してはいけないと言って、タブーの檻に監禁するよう強く勧めるだろう。

大昔からある女性の生理に関するタブーは、その象徴でもあるだろうと思う。

今でこそ、そんな歴史すらもなかったような顔をして

「もう女性はそんなタブーには縛られない、自由で何でもできるししてもいいんだ。」

と人々は口々に言い立てるが、それは仮面の上に張り付いた不気味な微笑みでしかない。

長い長い間の抑圧は、男の力も女の野生も封印する。

そして本来持っているはずの「強さ」や「美しさ」からずいぶんと遠ざけられてきたのだ。

人はみんな、神の子であるというが、自然そのものである神の似姿を

自分の内側に見るためには、何千年もの時を遡り、もう一度

内側に輝く野生の感覚を取り戻して、今に甦らせないといけない。

それは、ただ優しいだけでなく、ただ心地よいだけではなく、時に恐ろしく、

時に荒々しいものだ。

たぶん人はセックスのときにだけほんの一瞬、生命の躍動の感覚を取り戻し、

我を失って野生に戻るが、そのあとに残るなんともいえない罪悪感は

私たち女性が、何千年もかけて教え込まれ、DNAに刷り込まれて来たとすらいえる、

こうあるべきだという女性の淑女的な姿とは、似ても似つかぬ姿を見るからだろう。

だからそんな内側の野生の力に触れるとき、女神たちはおおいに戸惑ってしまう。

この水星の逆行に乗って、その失ったものの欠片を取り戻せるかもしれない。

私たちの生命、力、美しさを....

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