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執筆者の写真Deva Tarika

運命の一言


しばらくブログを留守にしてるというのに、ご訪問くださっている方々が

いらっしゃって本当に感謝です。

先月末の大阪での暑い熱い「タオの叡智・女神の集い」を終えてすぐに熱海で、

ウダラとのコラボワーク「メタモルフォッジ・変態」に向かいその後は無極功グループ、

そしてチネイザン・プロジェクトに没頭する日々です。

どのグループのエナジーも素晴らしく、今、まさに地球が、私たちが向かおうとして

いるところのエナジーを象徴しているようで、感慨もひとしおの時を過ごしました。

そして今ここ、チネイザン・プロジェクトなわけですが、講師のユタは、

私がチネイザンに初めて出会って以来の恩師だ。

昨年初めて「タオイスト・ヒーリングラブ」のワークショップのために

ユタ&ウォルター夫妻を日本にお招きして、超過密スケジュールにも関わらず

ご夫妻は疲れた顔一つ見せず、ずーっとご機嫌よろしくニコニコとしていて、

確か、私がその過密スケジュールを「すいません....」と言った時のこと

だったと思う。ユタがにっこりと私に言った運命の一言。

「タオイストにノーはないのよ。」

様々な経験を世界中で重ねてきたのであろうユタの言葉。

なにかが.....心にドカーンと来たのだ。

それまでだって、私は自分がやりたいように、生きたいように生きて来たはず。

でもそのショックは...バラバラに積まれていた書類の山を、ばさっときれいな山に

整えたような、満員電車に乗ってはみたけれど、片足が床に着けなくて、

身動き取れなくて固まってたら電車が急にガタンっとひどく揺れて、

突然スペースができてみたらなんだ、ちゃんと立てるスペースあるじゃん、みたいな。

やりたいことをやってきたけれど、何か一つ ”抜け感” が足りなくていたけれど、

大きな覚悟をもっと深く腹に収めろと促されたような。

そして私はそれに「イエス」を言おうと決めたのだった。

昔、「それでも人生にイエスを言う」という本を読んだことがある。

ナチスの強制収容所を生き抜いた精神医学者のピーター・フランクルが

語っていたのはどんな苦境にあっても、明日ガス室で死ぬかもしれなくても、

それでも人生にイエスと言う、人生には、生きることには意味がある。

そんな本だったと思う。

ずっと、明日死んでもいいと思って生きて来たつもりだったけど、

私のそんな思いなんか鼻くそにも満たないってほどの重みと経験が、ここにはある。

全然比べ物にはならないとしても、とにかく私の頭に浮かんだのは

そんなとてつもない言葉だったのだ。

いくら「明日死んでもいいんだよ」なんて粋がってみたところで

日本でのほほんと暮らす私が、明日ガス室送りになる可能性があるわけなくて、

地雷を踏む可能性があるわけなくて、飢えて死ぬわけでもない。

何の問題もない!

あるとしたら、いつ来るかわからない「天災」か。

それはもう神様にお任せして自分自身を生き切る方が、時間の使い方として

よっぽど賢いのではないだろうか。

何かを逡巡しているヒマなんか、もうとっくにない。

何かをやるのに、人はいつもその「理由」を探す。

普通の常識ある人たちは、正当な理由なしに何かを決めたり行動を起こしたりはしない。

しかし、理由なんてのはだいたいにして、世間を窺って魂のオーダーに

従うことを諦めるための、危ない橋を渡らないための、怠慢に過ぎないのだ。

昔、ロンドンで日本料理の店をしている女社長と話す機会があって、彼女曰く

「行動を起こすのにいちいち理由なんて探してたら、

             一生何も出来ないで終わっちゃうわよ」

これもまた、運命の一言だったと言える。魂が喜ぶことに、正当な理由なんか必要ない。

肚のパワーの整った人と一緒にいる時間は、私の肚も整える。

そして、今ここ。タオイストジャパンは始動します。

みんなで一緒に「夢」を食べる食卓を囲もうと思う。スパイスの効いた食事を楽しんで、

甘いお菓子やほろ苦い珈琲を飲むのは楽しいだろう。

スターターは、チネイザン・プロジェクト!

(これは女子会の食卓ではないので、男性ももちろんウェルカムですw)

今日の仕上げは、忌野清志郎

「腕一本で食べてこうってヤツが、簡単に反省なんかしちゃいけない。」

そう、タオイストにノーはない。自分自身にイエスと言い続ける。

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