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執筆者の写真Deva Tarika

夢の中で死ぬ


自分の病気であれ、身近な人の死であれ、死はいつも

鮮烈な一撃を人生に与える。

今のこの時間が永遠に続くはずはないと知ってはいても、

自分のことじゃなくて他の誰かの話であって、自分には全然関係の

ないことなのだから。

明日は朝起きたら顔を洗って着替えてして、いつもと同じ電車に乗って

通い慣れた職場に行って、馴染みの顔ぶれと一緒に仕事して、帰宅したら

TVでもぼーっと見て、寝る。そしてまた次の朝も同じ事が繰り返される。

それが人生だ。何事もなく、平々凡々と過ぎていく日常。

何も変わったことなど起きて欲しくない。

最初に「死」が私の近くに訪れたとき、母の姿をしていた。

乳がんで闘病して、3人の子供を残して38歳で逝った。

次は夢の中だった。

夢の中で、真っ白な長いひげを生やして、白い服を着た人に

「あなたはもうすぐ死ぬが、準備はできているか?」

母の死を通して、いつ死んでもいいように、悔いのない人生を

生きようと、必死にもがいていたはずの私なのに、ものすごく慌てて

「ちょっと待ってください!子供がまだ小さいし、保険にもちゃんと

入っていないのに、今死んだら子供が路頭に迷ってしまいます。

それに私は今、ちょうど勉強したいことを

見つけたばかりで、今死ぬわけには行きません!」

どこが一体いつ死んでも死んでもいいっていってる人の

言葉なんだか聞いて呆れる。

私の覚悟なんか、鼻くそぐらいのもんなのだ。

私はその翌日から、バーバラ・ブレナンのワークショップに参加するため、

名古屋に行くことにしていた。

人生初!初めて自分から「これを学びたい!」と思ったものに出会ったのだ。

死ぬにはもってこいのタイミングとは全然言えなかった。

私にとってはこれが生きるための欲望になるのだ、とわかった。

そのワークショップで出会ったBBSHの先生に(バーバラ・ブレナンではない)、

8年の間付きまとってw学んだ。

それはもう、乾いたスポンジに染み込む水、砂漠で発見したオアシス、

乾燥地帯に降る恵みの雨のごとくに染み込んでいったものだ。

今の私が私であるためにあったような、コアを形作っていくような、

そんな時を過ごした。

それはまさに私にとっての死と再生のプロセスだった。

おじいさんは間違っていなかった。その期間、古い私は死んで、新しい私が

芽を出したのだった。

ずいぶんと後になってから、そのおじいさんが誰だかわかったのだった。

LOVE OSHO !

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