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小さな死


やっと今年のスケジュールに火がついて(遅すぎですが)

一生懸命仕事中です。

最近出会う人ごとに、どうやって食べてるの?

仕事してるの?仙人みたい。

と言われますw 私が何やってるのかさっぱりわからんよ

ってことですよね。

もし私が全然仕事していないみたいに見えるなら、

白鳥に例えておきましょうw

見かけは優雅そうに見えますが、水面下ではめっちゃ足を動かしてます!

だけど、仕事をするときに、私の仕事スピリットの中で、まず最初に

立ち返らなければならない場所というのがあります。

私の仕事は、いわゆる自己成長というか、魂の学び、愛すること、

生命、セックス、健康に生きること、生命の可能性に触れること、

というのが主旨です。

愛とセックスに関わりはじめると、そこは生と死のはざまの、

生命の本質の場所だということに、いつも新鮮な戦慄を覚えます。

セックス、生きていくためのサバイバル、生命をつないで

いくことと死、両親との関係、祖先のこと、そういうこととお金や権力、

パワーは同じ場所に、第1チャクラの会陰と生殖器にあります。

その生と死の門の間に立っていることが、私の仕事だと思っていますが、

もし上昇志向的に「生」の方角に焦点を当てて、常に利益を求めて、

月収や年収がどうのって、右肩上がりじゃなければそれは正しい道じゃない、

何かが間違ってる!

なんて思い始めたらですね、廃業した方がいいんだと思います。

下降する「死」をも同時に抱けないのなら。

命のサイクルは円環です。

生まれて上昇していって、頂点に達したらあとは下がっていくのが自然な形です。

最近では、下降曲線に向かうこと、「死」へ向かうことが悪いこと、負け、失敗

のように言われます。

若い方がいいとか、胸は大きい方がいいとか、お金を儲けていれば好きなことが

できるはず、とか、セックスは淫らでいかがわしいので隠すべきだ、とか、

出世するのがエラい、なども同じですね。

でもね、上昇だけを善としていれば、命の本質からどんどん遠ざかってしまいます。

日常の中から排除された死は、腐臭を放って居場所を主張します。

だからほら、権力はやりたい放題、お金のためならなんでもあり!

自然破壊だろうが人の健康だろうが、全てお金が儲かることが善になっちゃって。

セックスも、隠しておくから妄想まみれのポルノまみれで、

すっかり汚れてしまいました。

少し違うバージョンでは「セックスはもう卒業したの。」

なんてのもあります。

卒業するにはそれなりの勉強をしておかないといけません。

まるで、子供の遊びはやめたのよって風にも聞こえるけど、

ま、人生いろいろあるからね。

本当は、小さな死はそこいらじゅうに満ち溢れています。

人間関係の終わり、愛の終わり、結婚の終わり、仕事の終わりなどもまた「死」で、

突然死、自然死、事故死や病死など、いろんなタイプの死に方があります。

もっと言えば私たちは夜毎に死んでいます。

眠りに入って意識を失っている状態は、小さな死です。

OSHOは、セックスは小さな死だと言いました。

昇天するとか、逝く、などなどと、エクスタシーの瞬間に死んでるわけですよ。

どうやら死は、そんなに悪いものではなさそうじゃないですか。

山よりも高いプライド、海よりも深い欲、手が付けられないようなエゴは

手放さなければ逝くこともできないって意味では、大いに瞑想が必要です。

日々、小さな死を抱きしめながらゆっくりと味わう時間は、魂の陰影を美しく

彩って光を強めることになります。ちゃんと小さく死んでいたら、その円環は必ず

生の方向へと向かっていきます。それが命のサイクルだから。

お金や経済も、やはり同じです。

死んだり生き返ったり、円環が流れていれば淀みもなく、腐りもしません。

ガツガツと上を目指すほどに、死はないがしろになって、いつの日か

逆襲をかけてくるでしょう。

仙人みたいに霞を食べて生きるほど、修行は進んでいませんが

食べるに困らないくらいのフェアトレードが、私のような仕事の場合は

ちょうどいいのです。

女たちの身体の中には、闇と生、そして死もまた同時に含んでいます。

温かな子宮の奥に。

そんな生命の言葉に耳を澄ませてお仕事して行く方が、私には合ってるってことです。

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